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歌川広近 (2代目) : ミニ英和和英辞書
歌川広近 (2代目)[にだいめ うたがわ ひろちか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うた]
 【名詞】 1. song 2. poetry 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)

歌川広近 (2代目) : ウィキペディア日本語版
歌川広近 (2代目)[にだいめ うたがわ ひろちか]
二代目 歌川広近(にだいめ うたがわ ひろちか、天保6年7月16日1835年8月10日〉 - 没年不明)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師日本画家安藤広近(あんどうひろちか)としても知られる。
== 来歴 ==
初代歌川広近の門人でその養子。姓は安藤、本名為吉。一親斎と号す。江戸三田台裏町に住む。常陸国(現茨城県)笠間郡土浦城内役屋敷で笠間藩士の子として生まれ、弘化3年(1846年)5月、初代広近の養子となった。嘉永3年(1850年)の頃から十年ほど養父広近について絵を学び、万延元年(1860年)から明治にかけて横浜絵肉筆浮世絵を描く。初代広近の没後に二代目広近を名乗り、万延元年に「二代目広近画」と落款して横浜絵「横浜岩亀楼全図」を版行した。しかし明治8年(1875年)12月以降は養蚕所や海軍病院で機器や人物の雛形などを描いて生活の糧としている。
明治17年(1884年)、第二回内国絵画共進会に「安藤為吉」の名で絵を出品して褒状を受賞し、翌明治18年の第一回鑑画会には「安藤広近」として「秋景山水」と「伯夷叔斎」を出品する。以後フェノロサの求めに応じて住吉広賢狩野友信とともに多くの古画の模写を制作し、またフェノロサや岡倉天心らの関西での古美術調査に同伴するようになった。
明治20年(1887年)5月開催の工芸品共進会で褒状を受け、明治22年(1889年)4月に東京美術学校雇となる。翌明治23年7月に第三回内国勧業博覧会に「美女秋国逍遥ノ図」を出品、三等妙技賞を受ける。その後明治24年(1891年)8月に東京美術学校の技手を任じられ、同年10月からは高等師範学校の技手となり、明治26年(1893年)9月の官制改正のときまで務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「歌川広近 (2代目)」の詳細全文を読む




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